「人にやさしくする」って何だろう?

    

【「人にやさしくする」って何だろう?】

 

 


 こどものつむぎ,心理士の前岡です。

 



 今日は小学校に訪問支援に行った時の話です。

 



 ある低学年のクラスにいる1人の男の子は,クラスから外れることが多いことで目立っていました。先生が教室で話をしている時に,友達としゃべったり,立ち歩いたり,時には友達に手をだすこともありました。その姿を見た先生が注意をしても,あまり気にしていない様子でした。

 

 


 ある日,クラスの子ども達の掲示物を見ていると,「後期のめあて」について書かれてありました。そこには「心」という欄があり,どういう心でありたいかを1人1人が書いていました。「人にやさしくする」「人をきずつけない」などが書いてある中で,彼が書いた文に目が留まりました。それは・・・

 

 


 「こけたひとをほけんしつにつれていく」

 

 

 


 めっちゃピンポイント!!

 「人にやさしくする」と書く方が,めあてっぽいですよね。もう少し言うと,学校生活で様々な状況が考えられるけれども,それらを抽象的にまとめあげて「人にやさしくする」ことが大事なんですよね。そうであれば,彼の「後期のめあて」は,具体的な生活場面を書いているので,抽象的に考えることが難しいのかなという捉え方ができます。実際,彼は言葉の弱さを抱えています。

 

 



 でもその一方で,彼の文はストンと腑に落ちるところがあります。
 彼の文を見ていると,「人にやさしくする」とは何だろうと思います。聞こえはいいし,大事なことはわかります。私も書くと思います。しかし何を持って「やさしくする」なのか,ぱっとイメージがしやすいかというと,正直悩ましいです。

 

 


 対照的に「こけたひとをほけんしつにつれていく」は,「あ~,これが「人にやさしくする」ということか」と,彼の優しさの情景がよくわかります。彼は言葉で「人にやさしくする」ことを指摘されて理解するよりは,こうした具体的な実体験の1つ1つから,「人にやさしくする」ことの意味を自分に染み渡らせているんだろうと想像します。

 

 


 今の社会では,抽象的な人間像を掲げて,その理想像を目指すように教育を行う傾向にあります。例えば「変化する環境の中で臨機応変に対応できる人間」というようなものです。哲学者の國分功一郎さんは「<責任>の生成—中動態と当事者研究―」という本の中で,社会が求める上記のような人間像は,映画のランボーのような人だとして疑問を投げかけています。つまり過去に起こった様々な出来事を断ち切って,どんな痛みも天候も耐えられるように訓練された兵士のような人です。

 

 



 男の子の書いた文に話を戻します。「人にやさしくする」ことは,社会が求めている言葉を表しているにとどまっているのかもしれません。「やさしくできたな」「これがやさしくすることか」という過去の実体験を積み重ねることでじわじわと湧いてくる理解を伴って,「人にやさしくする」という言葉が,誰かの言葉から自分自身の言葉に変わってくるのだと思います。

 



 ところで私の「人にやさしくする」って何だろう・・・
 家族が寒い居間に入ってくる前に,ストーブのスイッチを入れることかな・・・